練習後記


週末はまさに「わさび漬け」でしたな。
普段あちらこちらと散っているメンバーも
ようやく「わさび第1」月間に突入しました。
だって、もう一月きってるし。


kun氏などは、毎度毎度、本番前日になると「あと2週間あればなぁ」
と発言します。。。「2週間前に気づけよ」と、毎度言われています。


「狩」は、結婚式やパーティーなどの即席カルテットなんかでも
よく演奏してきましたが、本気でいざ、向き合うとなると、
「果て」がなくってなきそうになります。T-T。
さらりと弾けばよい、素肌の美こそ魅力なのだけど、
手入れのなっていない素肌での勝負はいささかキビシイ。
きちんと思うがままに制御すること、そしてきちんと形式美を
表現して初めて、何かをすることを許されるようで、今になって
慌ててます。
毎日の鍛錬って、重要なんだなぁ。T-T。

右手の肘と手首の間で、普段使わない筋肉が、
楽器を弾くときにはきゅんきゅんと覚醒。。。でもって、
弓が、弦をしっかり噛んで、発音するベストポジションを探るのですが、
なかなか簡単にはいきません。その音にはベストポジションでも、
次の突然、やってくるモーツァルトのいたずら(意地悪!?)のような
突然の変更をもった旋律に「現場対応不可」で、やたらと弓が
右往左往します。l-_-l

去年、久しぶりにモーツァルトのシンフォニーを弾いたときにも、
「無駄」に弓を使うと、ダボダボの服を着て、食器売り場を歩き回って
ひっかけ倒しているような気分になりました。(苦笑)
余分なものはいらなくって
贅肉なしのアスリートのようなボウイング
求められます。-_-;。そう、日々の鍛錬なんだわ。
さらには、アンサンブルの呼吸を合わせるのも大変。
8分の6の、四分音符と八分音符の組み合わせを、なんとなく
「ターラターラ」と弾いて、「ラの八分のタイミング合ってますか?」
って聞かれたら、、、あい、すみませぬ。出直しますと引き下がらざるを
得ません。

ちょっと憂鬱かも…(^^;。


バッハは、だいぶ…。
そもそもひとりで弾く曲を4人で分けて弾くと、
最初は4つのフレーズ固体があちこちにごろんごろんしているようで、
う〜むと、悩みました。とにかく、まず「骨組み」を理解しようと
原曲にある要素を、それぞれのパートで拾い、つなげて演奏
出来るように練習。
音楽的なイメージも、音色のイメージも、それぞれ違うところも
多々あり、絶対音楽だけれども、具体的なイメージを語り合って
音楽作り。
私自身は「祈り」の音楽だと思う。繰り返されるテーマは、
繰り返される「祈り」に似ていると思う。
奥が深くて、いつまでも練習していたい曲だと思います。


シューベルトは、「三度」「五度」「オクターヴ」の密に、
酔い、そして苦戦しています。そもそも、弦楽五重奏のスタイルは
モーツァルトベートーヴェンにおいては、ヴィオラ二本での
編成だったものを、低音の強化を狙ったシューベルトはチェロ
2本にし、この曲にシンフォニックな響きを与えています。
およそ、5人の弦楽器奏者で演奏していると思えないくらいの
迫力を持つところもあり、シューベルトの最後の室内楽曲として
その充実っぷりは、言うまでもなくすばらしい。


シューベルトの晩年の友人に宛てた手紙の数々は、
人を「恋う」内容ばかりです。病に冒され、いつ死が訪れるか
わからない状況にあったといいますが、それでもなんでも、
まさか「31才」で未来を絶たれるとは思いたくない…その
焦燥感というか、寂しさが、根底にあるような気がします。
密で交響的な音楽の中に、天から降ってきたかのような旋律
や行く先の光を一瞬見失うかのようなふっと訪れる恐怖のような
旋律が、ところどころに現れます。そのたびに、はっとします。
曲は、40分にわたる室内楽曲にしては長編の曲で、
シューベルトらしいナポリの和音の使用やポリフォニックな
動きをするところなど、ひとつひとつ魅力を果たして全部
噛み砕けてるんだろうかと思うくらい、要素がたくさんあって…。


確かに、あと○週間・・・必要だ。。。


練習の出来ない日は、まわりから攻めます。
シューベルトの歌曲を聴いて、ドイツ語の韻や歌詞の世界観と
音楽のうつろいを感じたり、
バッハの楽譜を重箱の隅つつくみたいに眺めたり、
モーツァルトのために、筋トレしたり。。。


まぁ、出来上がっていく楽しみがあるからこそ、、、なんだけど。

(HAL)