テオフィールス・・・アマデウス

お誕生日おめでとう。ヴォルフガング。
今朝はスーパーモーニングで40番、とくダネで25番。流れてました。
モーツァルトって聴くと癒されるパワーがあるそうですね」とか
モーツァルトって胎教にいいそうですね。」とか
モーツァルト聴くと仕事がはかどるといいますね」とか
モーツァルト聴かせてお酒を造るそうですね」とか
ゲストコメンテーターが、必死にモーツァルトに関するトリビア引出しを
披露してました。やっぱり、ヴォルフィーは人気も別格なのですね。


ヨハンネス・クリュソストムス・ヴォルフガングス
・テオフィールス・モーツァルトモーツァルトの本名…
「テスト開始!」の合図のあと、損するタイプですね。(笑)
モーツァルトが生まれる前に5人も子どもを生まれてすぐに
亡くした両親が、聖クリュソストムスから名をとり、
デオフィールス「神の寵児」という意味をもつ言葉を名につけた
そうで、のちにモーツァルト本人が、同義のラテン語
「アマ(愛)デウス(神)」と改名とか。。。


伝説やエピソードがともすると先走りしがちですが、
真正面から向き合ったときに、ほかの曲は大丈夫なんだけど、
私、モーツァルトの「レクイエム」だけは
恐いんだなぁ。怖い。。。


だいぶ、平気になって来ましたが(というか、仕事でも聴かなきゃ
ならない局面に立ち会うことがあるから、平常心を保たなきゃならなくて)
もうちっちゃい頃から、聴くと怖くて泣き出していたそうで、
何がこわいんだろう、、、と、この前スコアとCDと向き合ってみたり。
解明出来ませんでしたが…。


まぁ、モーツァルトの伝記における「レクイエム」の作曲依頼の話や
映画『アマデウス』のシーンも印象的ではありますが、音そのものに
ひゅーって、自分の中の「まんなか」をとられるような気がして、
それを追っかけるんだけど、一歩先は地面のないところ…とでも
言うのが言葉で表せる感覚の精一杯なのですが…。


山葵でも「狩」に臨んでますし、これまでも様々モーツァルト
曲を演奏していますが、必ず曲のどこかにそういうゾーンが
ある気がします。でも、レクイエム以外の曲は、そのゾーンに
到達しても、落とされることはむしろなくて、ふっと持ち上げられて
なにか優しく清らかなもの、すがしいものに触れる感じに
なれるかなぁ。。。


って、別に奇跡体験アンビリーバボーの話やあなたの知らない世界へ
導こうってわけでは決してないのですが、演奏の難しさを棚に上げて
感覚だけで書くならば、もともとの楽譜そのものに潜在している
力がある気がします。バッハも、ベートーヴェンもその他の作曲家のは、
人間(演奏者)が介在して初めて、意味というか、愛をもつ音楽と
私は思っているのだけれど、モーツァルトのは、手を加えれば加える
ほどに、モーツァルトではなくなる気がしていくのが怖い。むしろ
我々がモーツァルトの魂に近づくプロセスを歩んでいる気持ちになるかなぁ。
ま、人それぞれ感覚はあると思いますが。。。


モーツァルト、生誕250年。
ショスタコーヴィチ、生誕100年と、盛り上がってますが、
われらが心のシューマンも没後150年です。。。ひっそりと、彼の音楽を愛し
その生を(死をじゃなくって)悼んでくださいな。


冬のザルツブルクの映像が、すーーーっと心に入ってきて
きれいだなぁ〜〜〜〜と思ったHALでありました。