きょうの練習後記①シューベルトの場合


連休最終日は「わさび弾き初め式」でした。
「ことしもよろしく」…今年も一緒に弾け続けることができる
ということがどんなにうれしいことかは、
ひしひしと感じているつもりです。


さて、3月のわさび。後半の曲となるシューベルトの弦楽五重奏曲は
一曲に50分も要する室内楽曲では長大な曲。そして非常に難しく
曲を1曲弾きこなすだけでもおなか一杯な曲です。それを5人で
構築していく過程といえば、それはもう気が遠くなるほどで、
そしてこれまたシューベルトの晩年の作品がもつ清廉で、優しい
光に包まれるかのような響きを精一杯の集中力を持って作り上げる
のは、ともすれば「ガマン大会」かもしれません。(笑)
今日だって1楽章をかっちりやって、4楽章を途中までやって…
それで午前中まるまる終わってしまいました。


私自身はこの曲を弾くのは2度目です。その時のメンバーとの
演奏は深く心に残るもので、たぶん、その時の全てを出し切った、
と思っていたけれど、数年経ってみて、またこの曲を目の前に
したとき、あぁ、まだこんなにも感じられることがたくさんあり
ここはこういう創りだったのかと気づいたり。。。
前回はチェロが女性二人で、この曲の持ち味である柔らかな
チェロの二重奏のメロディの雰囲気をたぶん、最初に耳にした時から
捉えていたんだと思われ…(どう?かたわれさん。笑)
今回は、わさびヘビー級のチェロ二人が、朝の社内会議のように
いろいろと相談しながら切磋琢磨してシンフォニックな響きを
創り上げてくれています。


しっかり構築していくことで、曲の仕上がりをよくすることを
はじめにありきとしたうえで、失わずにいたいのが
作品の「霊的」な部分。「きれい」「うつくしい」「はげしい」
「かなしい」といった決まりきった言葉では表しきれない世界観。
私がこの曲を初めて聴いたのは、明け方、オレンジがかった柔らかな
金色の朝の光がカーテンの隙間から差し込む中のことです。
あの光が皮膚を浸透する感覚…その光に包まれるように、身を委ねるように
なにか心に芽生えたのは、そうだなぁ、「祈り」に似た気持ちだったかも
しれません。「〜してください」っていう懇願の祈りというより、
えもいわれぬ世界のうつくしさを目の当たりにして、シューベルト
遺してくれたすがしい音楽に出会えたよろこびを素直に目を閉じて
心にしまうときの気持ちは普通は「祈り」とは云わないかしら。。。


午後に練習した「シャコンヌ」もまた私は「祈り」だと感じていて、
それはまた別の機会にとも思いますが、、、今回のわさび
両方とも「祈り」って。。。別に悟りを開きたい境地というわけでも
なんでもないのだけれど(笑)。偶然。


ある人が私に、今回の曲目は私にとっては「禁欲的」なんじゃないの?
と話していましたが、たしかに、「祈り」の言葉は決り文句でない限り、
ひとつひとつ選んで、身体からしぼりだすように綴るものではないかと
思うし、そもそも美しいシューベルトの作品を美しく弾くってのは、
ほんと「こころばえ」も美しくなきゃ弾けないかもって思っちゃうし。
禁欲的かもしれません。まぁ、ひとつ、前に弾いた時と決定的に違うとすれば、
この曲はこんなにも美しく得がたいのだ〜と、なんとかかんとか
頑張って伝えなければ〜と、若さゆえに頑張っちゃってたけど、
私が頑張らなくともこの曲は十分に美しく何百年も時を経て愛奏されて
いるので、弾きながら「ここいいよね」って隣のメンバーやら
お客さんと思えれば、きっとそこには、あのとき感じた「祈り」に
似た気持ちが生まれるのかもしれないなと、ぼんやり思ってみたり…。
(おそまつ)