さくらと音楽


以前、桜の写真とクラシック音楽(ピアノ)でイベントをするのに
選曲を手伝ってくれと頼まれたことがありました。
どうもその時は、いいインスピレーションが湧かなくて
ぼんやりとした感じでした。


それでもシューベルトアンプロンプチュ変ト長調
ラストに持ってきたりして、それはそれでまぁまぁ
合っていたかなと思ったりもしたものでした。


写真に収められた桜は、どうもいけません。
その写真家さんの腕が悪かったということでは
決してないのですが、そもそも「桜」を写真に
収めること自体が私にとっては「違和感」のようです。


他の花にはそう思わないのだけれど
桜だけはなんだか、そんな気がします。
もしも、そのコンサートが桜の木の下で(某局のニュースみたいだけど)
弾くというものだったら、もう少し浮かぶものもあったかもしれません。


でも、それだって、ほんとは違和感。
なんか、生・桜と生・クラシック音楽は、あまり相性がよいものでは
ないのではないかと思ったりするのは私だけでしょうか。


私にはどちらも「生(せい)」を
感じすぎるものだからかもしれませんが、並べてみると、センスが
悪いように思えてしまうのでした。邦楽ならばそうでもないのかも
しれません。枝垂れ桜の前で舞う能は、ストイックなほどの美を
感じるし、それが日本の魂ということなのかもしれない。
クラシック音楽の場合も、濃い緑の森の中でのベルリンフィル
ピクニックコンサートはしっくりくるし。


でも、クラシック音楽好きには一縷の望みを棄てたくないところ。
今年は「花見宴」こそしなかったけれど、花を愛でる時間を
もてたので、ぼんやり考えながら歩いていました。


ということで今年のセレクション。


咲き匂う桜には、モーツァルトハイドンの可憐なピアノソナタ
(それほど早くないテンポのもの)
雑踏を消して、さくらの美しさに焦点を合わせて
目に焼き付けることができます。
散りゆく桜には、ショパンシューベルトピアノ曲
(散りっぷりにあわせて激しいもの静かに流れるものなど
いろいろ選べるし)・・・
今回の場合に限ってはシューマンは違うかな。なんだか
業が強すぎるんですよ。カンが強いとも言うかな←言ってるイミ
わかってもらえるかなぁ。
ショパンだって十分激しいけど、ドラクロワのこげちゃと
ショパンのピアノと、桜のうす紅色は、なにか、とけあう気がするのでした。


交響曲や協奏曲でもなければ、弦や管でもない。
ハープシコードほど枯れていないし。ということでピアノ曲
しかも、録音が古いもの。昔の巨匠系の古びた録音と
桜の光景は合うと思うんだけどな。


そんなことを考えながら歩いていると、
車にひかれそうになります。。。(要注意)


昨日は春の雷と強い雨
せっかく咲いたのに、世の無常を感じます。
今日は一転青い空。
太陽光を浴びて舞う花びらは金色に見えて
「散華」という言葉は仏教用語だったかしらと
思いました。


こわいくらい、風景が綺麗で、
容赦なく心に入ってくるので、
春はすごいなぁ。。。と。。。


山葵に、この春ピアニストが再び復活したので、
ピアノの話題にしてみました。by HAL